皆さま、こんにちは!NICE ONの四ケ所です。
昨日のブログでは、アシストにある2つの要素について書いてみました。
昨日のブログは、こちらです。
支援することだけが、アシストではない・・
自分軸で考えてしまうと、自分のことだけしか出来ていないというのは、どうしても、周りのサポートができていない・・
と、捉えがちですが、組織を軸にすると違いますよね。
なぜなら、自分のことを自分でやり切るというのは、他の人の手を自分のために止めていないのですから。
なので、直接的に周りのサポートをすることだけではなく、自分のことを自分でやり切ることも、組織の面からみると、立派なアシストだと思います。
もちろん、自分のことだけをやっていればいい・・とか、自分さえ・・というのは論外ですが・・。
初めから、何でもできる人は存在しません。
まずは、できるようになること。
そして、速度をあげること。
その次に、周りのサポート。
道理には、順番が付きものですよね。
それでは、今日のブログです。
鏡(かがみ)の【が】とは?
歯を磨くとき・・
顔を洗うとき・・
髪を乾かすとき・・
おそらく、鏡の前に立っていますよね?
それくらい、私たちは、日々、鏡に映る自分を見ているのではないでしょうか。
その鏡に映る自分とは・・
そりゃぁ、自分ですよね。
当たり前です。汗
ですが、今日は、少し違った見方をしてみたいと思います。
では、もう一度。
鏡に映っている自分とは・・
物質波動の自分。
一方で、鏡の裏側の世界に・・
もう一人の自分もまた、そこに存在しているらしいです。
何だか、怪しいお話しに聞こえていますよね。汗
私自身、書きながら、そう思ってしまいました。
が、続けます。笑
そのもう一人の自分とは・・
鏡の裏側にいる、精神波動の自分だそうです。
つまり、人は、物質波動と精神波動の2つに分かれて存在している・・
と、いうことのようです。
鏡(かがみ)と、何の関係が・・?
そう思われていますよね。
これからが、鏡のお話しです。汗
神道の御神体(神が宿るとされる物体)は、鏡です。
そして、鏡というのは、自分を映すものです。
その鏡、つまり、【かがみ】という言葉は、真ん中の【が(我)】を取ることで、【かみ(神)】になります。
これは、私たちの心中には、【神のような存在】と【邪な存在】が混在していることを表しています。
だからこそ、心の羅針盤を少しでも清浄なものにしていけば、私たちの人生は、今よりも輝いていく・・
そう、鏡が教えてくれているのではないでしょうか?
鏡に映っている物質的な私が、我・・
鏡の裏側にいる精神的な私が、神・・
合わせて、自分。
鬼のような自分を感じたり・・
仏のような自分を感じることもあったり・・
そういうことかな?と、一瞬、思いましたが、このブログを書き終えようとしている今、いや、違うと思えてきました。
人は、天の媒体。
まさに、天から与えられたこの命に、何が託されているのか。
その託されたものが宿っているのが、精神波動の自分だとすると・・
そこに気付くことから、本当の私が始まる・・?
うまく言えませんが、そのように思いました。
きっと、我を捨てることで、観じられる世界のことですよね。
そのためには、小欲ではなく、大欲を持つこと。
途方もない、大きな理想を掲げること。
すべては、そこからです。
今回もまた、ブログ筋トレ中の文章を最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
ブログ筋トレVol.713-1
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