皆さま、こんにちは!NICE ONの四ケ所です。
昨日のブログでは、竹村亞希子さんの易経「青龍の巻」をご紹介致しました。
昨日のブログは、こちらです。
竹村亞希子さんの中国古典「易経」の超入門書シリーズ第3弾! 青龍の巻 〜自分の足で歩いていくってどういうこと?〜
この、竹村亞希子さんの超入門書シリーズは、本当にお勧めです。
今朝も、大切な友人に、この本のことを話していました。
超入門書シリーズなので、もっともっと深めていく必要はありますが、それでも、易経を読む土台はできてきたように感じます。
易経に触れ始めたのは今年に入ってからなので、そういう意味でも、竹村亞希子さんの本との出会いに感謝です。
欲を言えば、もっと早くに知りたかった・・
でも、きっと、今が最適なタイミングだったのでしょうね。
それでは、今日のブログです。
型無しと型破りは、似て非なるもの・・
型無しと型破り。
例えば、型がもともと無い人と、型を破った人がいたとします。
この二人には、どんな違いがあるのでしょうか。
あるいは、どんな違いが、今後に表れてくるでしょうか・・?
では、その前に・・
型無しと型破りについて、考えてみましょう。
まずは、型無しです。
文字通り、型が無いわけですから、師から教わり、その型を習得したわけではありません。
それを、望んでいるわけでもありません。
なので、全ては自分が思うまま・・というのが、型無しです。
一方で、型破りには、極めて大切な順序があります。
例えば、私が大好きなお鮨で言うと、いくらお鮨を握りたいと願っても、そう簡単には握らせてもらえません。
皿洗いから始まり・・
いったい、どれくらいの修業で大将の横、つまり、お客さまの前に立たせてもらえるのか・・
時々、お鮨を頂きながら、その様子を見ていますので、相当に厳しい世界だと言うことは、容易に想像できます。
でも、その型を身につけなければ、お鮨を握らせてもらえません。
つまり、握るためには、型を受け継ぐ気概が必要なのです。
そして、一流と言われる人が求めるのは、実は、この世界観だったりします。
一流の人は、分かっています。
身につけた型を破り、自分の道を歩もうとしている人の心意気が。

型無しは、一握りの天才の世界観。
なので、天才のみなんです。
でも、型破りは違います。
なぜなら、必要なのは、真摯さ。
そして、想像を絶する、徹底的な量稽古。
だからこそ、技術ではなく、人の資質そのものが表れます。
型は、必要ないのか。
それとも、型が大切なのか。
色んな意見があると思いますが、私は、型を大切に思っています。
皆さまは、型について、どう思われますか?
今回もまた、ブログ筋トレ中の文章を最後まで読んで頂きまして、誠にありがとうございました。
今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。
ブログ筋トレVol.703-1
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